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東京高等裁判所 昭和59年(う)768号 判決 1984年7月12日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人箕山保男が提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

一  控訴趣意第二点の第一の論旨(訴訟手続の法令違反)について

所論は、要するに、原審において、検察官は、昭和五八年九月二一日付訴因変更申請書をもって、同年五月一六日付起訴状記載の公訴事実の別紙一覧表中番号2、3、5、6、7、9、11、16、19、20、22、25について、また同月三〇日付追起訴状記載の公訴事実の別紙一覧表中番号1について、被訪問者及び受供与者として掲げた人物をいずれも単に被訪問者であるとしたうえ、新たに受供与者として右と異なる右申請書記載の別の人物に変更する旨の訴因変更の請求をしたけれども、右は社会的基本的事実を変更し、公訴事実の同一性を害することになるから、右訴因変更は法律上許されるべきでないのに、原審が右訴因変更を許可したのは違法である、また原判決が右訴因につき有罪を認定したことも違法であり、右番号部分については公訴棄却ないし無罪の判決をなすべきであるのに有罪を言い渡した原判決には訴訟手続の法令違反がある旨主張する。

そこで、本件記録を検討すると、検察官は、同年五月一六日付起訴状、同月三〇日付追起訴状記載の各公訴事実において、「被告人は、……別紙一覧表記載のとおり、いまだ立候補の届出のない……ころ、……ほか……各方を戸戸に訪問し、同人らに対し、それぞれ『今度市議会議員選挙に立候補する髙梨孝です。よろしくお願いします。』などと申し向け、右選挙に立候補する自己のための投票並びに投票取りまとめ等の選挙運動をされたい旨依頼して戸別訪問するとともにその際右依頼の報酬として、右……名に対し、いずれも清酒一・八リットル瓶二本を供与し、一面立候補届出前の選挙運動をした」との戸別訪問、供与ならびに事前運動の訴因を掲げ、各別紙一覧表中の「被訪問者及び受供与者氏名」の欄においていずれも一名の人物を記載していたところ、同年九月二一日付訴因変更請求書をもって、「被訪問者及び受供与者氏名」欄を「被訪問者」と「受供与者」欄の二欄に分けたうえ、本起訴状別紙一覧表番号2、3、5、6、7、9、11、16、19、20、22、25、追起訴状別紙一覧表番号1について、被訪問者は従前と同じ人物を掲げたものの、受供与者については従前とは別の人物を掲げ、その旨訴因を変更する旨請求をし、原審は第五回公判期日において右訴因の変更を許可したことが明らかである。

ところで、本件各証拠によれば、本件は、被告人が髙梨信一らと共謀のうえ、原判示のような趣旨・目的で被告人の地元選挙区である三浦市初声町内の有力者である区長、各地区生産組合の組合長及び農協の理事、監事全員並びに地元の現・元市議会議員合計四〇名に対して選挙に関し原判示のような依頼をし、同人らに原判示の清酒を供与するため各自宅を訪問したものであって、右訴因変更にかかる訪問先については、たまたま区長等の本人が不在等のため直接面談できなかったため、応待に出た同人らの妻その他の家族の者に対し訪問の趣旨を述べるとともに、その旨を本人に伝えて欲しい旨を述べ、原判示清酒を渡して辞去したものであって、各本人は何れも家族の者から右の報告を受けこれを諒知していたものであることが明らかであり、すなわち、被告人らは前記区長らを訪問したものであって、不在等のため直接面談は出来なかったものの家族の者を通して訪問の趣旨はそれぞれ区長等に伝えられており、また清酒は家族の者らを通じて前記区長らに提供されたものであることが認められる。本件は以上のような事実関係にあるところ、変更前の訴因においては、現実に被告人らと面接し、清酒を受取った家族の者らを受供与者としていたのを、家族の者を通じて清酒の提供を受けた前記区長等を受供与者に訴因を変更したものであって、変更請求にかかる訴因は、戸別訪問及び供与の各行為の日時・場所・態様、訪問先及び供与対象物については従前の訴因と全く変わらないものであり、単に右戸別訪問時に行われた供与の相手方が仲介者に過ぎない家族の者から供与の対象者である区長等に変更されたというにすぎないものであるから、変更前の供与行為と変更後の供与行為とは社会的に別個の事実として存在するのではなく、両者は社会的に同一の事実であり、したがって、右訴因の間には公訴事実の同一性が存すること明白であるから、前記のように原審が本件訴因の変更を許可したことは正当であって、原審の右訴訟手続に法令違反はない。また、訴因変更許可決定の違法を前提として原判決の違法をいう所論も前提を欠き失当である。論旨は理由がない。

二  控訴趣意第二点の第二の論旨(採証上の違法、審理不尽)について

所論は、要するに、原審は、本件受供与者森一雄ら一九名、本件共犯者髙梨信一、三富利雄、小牧勇の検察官に対する各供述調書を刑訴法三二一条一項二号書面として採用したけれども、同人らは、検察官の取調べは不当な取調べであり、やむなく署名捺印した旨具体的に供述しているのであって、右各供述調書には特信性がないから、原審が右各供述調書を採用したうえ、これを原判決に有罪の証拠として摘示したのは、明らかに判決に影響を及ぼす訴訟手続の法令違反の違法があり、また、右の者らの大部分は農民であって、捜査官の取調べは初体験であり、同人らが取調べ時の無理な捜査について宣誓のうえ公判供述の方が正しい旨証言している以上、担当捜査官を職権で証人尋問して右供述調書の任意性につき審理し、その採否を決すべきであるのに、これをしなかった原審には判決に影響を及ぼす審理不尽の違法があると主張する。

しかし、所論にかんがみ記録を精査しても、原審が本件受供与関係者一九名、共犯者三名の検察官に対する各供述調書を刑訴法三二一条一項二号書面として採用したのは相当であって、原審に所論のような訴訟手続の法令違反及び審理不尽があるとは考えられない。

すなわち、本件被訪問者・受供与者らの検察官に対する各供述調書は、いずれも主として本件訪問の目的、清酒提供の趣旨の部分について弁護人の同意が得られなかったため、同人らが原審公判廷で証人として尋問されたものであるところ、そのうちの証人森一雄、同小牧美代子、同小牧孝一、同大井喜代子、同石渡ヤマ、同石渡一男、同西崎馨、同川名健一、同広川信義、同長沢菊次、同澤村昭二、同前田武夫、同村田昭一、同古山菊太郎、同鈴木清蔵、同鈴木常生、同沢村力二、同伊藤昭二、同原田英夫は、右目的・趣旨について、ある者は投票もしくは投票取りまとめの依頼の報酬の趣旨でなかった旨、またある者はその点をあいまいに供述するなど、いずれも各自の検察官に対する供述調書の内容と実質的に異なる供述をしたため、原審が検察官の請求により同人らの検察官に対する供述調書二〇通(ただし森一雄の分は抄本でその余は謄本。鈴木清蔵は二通)を前記二号書面として採用したこと、また本件共犯者とされる髙梨信一、同三富利雄、同小牧勇の検察官に対する各供述調書については弁護人の同意が得られなかったため、同人らを原審公判廷で証人として尋問したところ、いずれも右目的・趣旨等について、単なる挨拶廻りであり、持参した清酒は右訪問に伴う儀礼的なものである等と供述し、投票及び投票取りまとめの依頼の目的で訪問したもので清酒はその謝礼である旨の内容の同人らの検察官に対する各供述調書と実質的に異なる供述をしたため、原審が検察官の請求により髙梨信一(三通)、三富利雄(五通)、小牧勇(五通)の検察官に対する供述調書謄本合計一三通を同号書面として採用したことが明らかである。所論は、右各供述調書について、同号にいう特信性がない旨主張するので、以下右各供述調書の特信性について判断する。

1  まず、関係証拠によると、後記事実誤認の論旨に対する判断において詳細に判示するとおり、被告人は、神奈川県三浦市初声町下宮田地区内のいわゆる飯森区に居住して農業を営むものであり、昭和五八年四月二四日施行(同月一四日告示)の同市議会議員選挙に際し立候補し当選したものであるが、右選挙に関しては、同年三月初めころ、初声町出身の現職市議大井誠治が病気のため立候補できないらしいとの話があり、他に噂のあった数名も立候補の具体的準備をしている様子も窺われず、結局地元初声町からは誰れも立候補しない情勢であったため、かねて政治に関心を抱いていた被告人は、当時三一才と若くて知名度も低く、しかも既に出遅れてはいたけれども自ら立候補しようと考え、同月七、八日ころ、前記飯森区の区長髙梨信一、飯森区居住の三浦市農協理事(飯森区担当)の三富利雄に立候補の意思のあることを告げ賛意を得たうえ、右の両名に前記大井誠治が立候補するのかどうか本人に会って確かめて欲しい旨依頼し、両名は翌日頃右大井方に赴いて立候補の予定のないことを確認し被告人に告げたこと、そこで被告人は立候補の具体的準備を始め、同月一一日には前記三富利雄らとともに前記髙梨信一方を訪れ、被告人を市議会議員の候補者として飯森区の推薦をしてもらいたい旨依頼し、翌一二日開催の飯森区の隣組々長会議の席上右の推薦が決定されたこと、翌日ころ、被告人は飯森生産組合長の髙梨正雄に対し右同様同組合の推薦方を依頼し、同月一五日開催の同組合の役員切りかえの総会に諮られることとなったので被告人も右総会に出席して、右髙梨組合長が右を諮った際にはお願いしますと発言した外、二、三の人からの批判的意見に対しては「俺の悪いところは何でも言って下さい。直しますからよろしくお願いします」「地元のために働きますからよろしく頼みます」などといって頭を下げ、結局被告人の推薦が決定するとともに、その際、組合の新旧役員が被告人の選対委員となる話になったこと、右のように飯森地区及び飯森生産組合の推薦を取り付けた被告人は、同月一四日ころ、鎌倉市の石井印刷及びカメラマン須藤史朗方に赴き、右須藤に選挙ポスター用の顔写真を撮影してもらい、同月二二日には再び右石井印刷に出向いて選挙用ポスターの顔写真一枚を選び、右須藤に写真代四万円、右石井印刷にポスター代内金として一〇万円を支払ったこと、これと並行して被告人は前記髙梨信一らに依頼して同人らとともに同月一七、一八日及び二三日の三日間にわたり本件戸別訪問をし、その際、各訪問先において前記髙梨信一あるいは三富利雄において、概ね「今度市議会に飯森区と組合の推薦を受けて立候補することになった髙梨孝ですけれどもよろしてお願いします」などと被告人を紹介し、被告人も「よろしくお願いします」などと挨拶をし、清酒二本を置いて帰ったものであること、以上の事実を認めることができる。

2  被告人の本件訪問及び清酒の提供は以上のような経緯のなかで行われたものであるが、以下、(一)被訪問者、(二)共犯者の各供述等の内容について関係証拠を検討する。

(一)  被訪問者の供述

(1) 森一雄の検察官に対する供述調書の中には、「その清酒を持ってきた意味は、孝が四月の市会議員に当選できるよう私や家族の者に投票してほしいという意味と私が区長をやっている立場にあったので孝が当選できるよう部落の人に話しかけてほしいという意味で持ってきたものだと思いました。選挙に関して金や品物を貰ってはいけないことはわかっていましたので、一たんは貰えないといってことわりましたが、それ以上強くことわったり酒をつっかえすことは信一は昔からの友達でもあるので、できませんでした。以前の市会議員は元屋敷部落から大井さんとか三留豊治さんらが立って飯森部落の人にも応援して貰ったことがありましたので、酒を返すということは応援しないという態度に出たととられるおそれがあったので、酒を返すことはしなかった」旨の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷で、本件の趣旨・目的について、元屋敷部落の人に被告人を推薦してもらえるかどうか区長の自分から皆に聞いてもらいたいとの目的で被告人らが来たのであり、そのようにお世話になるということで清酒を持ってきたように述べる一方、清酒についてはどういう訳で持ってきたのかわからないとも述べ、また検察官の取調べの際投票・運動依頼の謝礼の趣旨であると述べたかどうかについてもはっきり述べず、その証言は、肝腎の訪問の目的、提供の趣旨等についてあいまいであること、また、検察官の尋問に対し、右供述調書は検事から読み聞かされ、いいですといって捺印した旨供述していること、

(2) 小牧喜代子の検察官に対する供述調書中には「区長の信一さんから今度の市会に立つからよろしくと挨拶をされた直後酒を差し出されたので、私や私共の家族に髙梨孝さんが市会に当選できるよう投票してほしいという意味で持ってきたものだと思いました。」、「個人的に選挙以外のことで酒を持ってくるなら、一人で持って来る筈であり、候補者自身と一緒に五人もそろって挨拶に来た際に置いて行ったので、投票してほしいという意味で置いて行ったとしか考えられません」旨の供述記載が存するところ、同女は、原審公判廷において、被告人らが何の目的で来たのか、またどういう意味で清酒を持参したのかわからないように証言し、この点について供述を回避する態度に出ていることが窺えるが、検察官の尋問に対して、検察官の取調べに対してはありのままを述べたこと、右供述調書は読み聞かされたが間違いないので署名した旨供述していること、

(3) 小牧孝一の検察官に対する供述調書中には、「大分前に髙梨孝が市会に立つという話を聞いたこともあり、孝ら五人が来たと聞いて孝が四月の市会に立つことになって挨拶に来たんだなということがすぐわかりました」、「置いて行った酒については、持って来た当日の夜は見ていませんが、私や家族の有権者に孝が市会に当選できるよう投票して貰いたいという意味と、私がそのころ生産組合長をしていたので、組合員の人達に同じく孝が当選できるよう働きかけをして貰いたいという意味で持ってきたんだなと思いました。選挙以外のことに関して孝や勝信それに髙梨信一さんらから酒を貰う理由は全くありません」旨の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、被告人らが何のために来て清酒を置いていったのかよくわからなかった旨及び右の点について検察官に対する供述調書においてどのように述べたか忘れてしまった旨あるいは取調べ官の押しつけである等とも供述しているが、同人は取調べの際は、当初清酒を持ってきていない旨清酒の授受を否認していたものであるところ、供述調書中には、警察の調べを受けた時、清酒を貰っていないと述べたのは、小牧勝信は勿論のこと被告人も他の人達も皆知っている人なので、一人でも貰った人が少ない方が罪が軽くなるという考えと嘘がそのまま通れば自分自身選挙違反ということで調べられたり処罰されることを免れるのではないかと思ったからであり、嘘をついた点については悪かったと反省している旨の供述記載が存し、検察官に対し真摯に反省の態度を示して供述していたことが窺える一方、被告人らを庇う心情も窺えるのであり、取調べ官の押しつけであるという部分は必ずしも首肯しがたいこと、

(4) 大井喜代子の検察官に対する供述調書中には、「私はそのように信一さんが孝さんを紹介して孝さんも挨拶を始めた時から先程言ったように信一さんや三富さんが前もって主人の再出馬の意思を聞きに来たりしておりましたからそれは選挙のことに他ならないと思ったのです。つまり信一さん達は選挙のやり方を教えてくれというようなことを言っていましたが勿論そういう意味もあったと思うものの孝さん達はそんなことよりもむしろ市会選に立候補する以上当選したいでしょうから孝さんが当選できるように主人とか私達に投票してもらいたいとか、主人が現職市議だったから他の人に働きかけてもらって孝さんの票を集めてもらいたいという意味で挨拶し、お酒をよこしたものだと思いました」旨の供述記載が存するところ、同女は、原審公判廷において、選挙のやり方を教えてくれということで来たものであって、投票してくれ、現職の力を利用して近くの人に働きかけてくれという気持で清酒を持参したようには思わなかった旨、検察官の取調べでは、言わないことも調書に書かれた旨証言しているが、同女は当時の現職市議大井誠治の妻であり、供述調書を自ら閲読したうえで署名押印したものであること、同女の取調べは二〇分程度の短時間で済んでおり、特に取調べが難渋したような形跡もないことが認められること、

(5) 石渡ヤマの検察官に対する供述調書中には、「三人が帰られた直後に玄関の右側の上り口の所に赤っぽい包装紙で包まれた清酒が二本入っていると思われる箱の包みが置いてあるのに気がつき、これは私や家族の者が髙梨孝さんが今度の選挙に当選できるよう投票して貰いたいという意味と長男の一男が生産組合長をしているところから組合員の人達にも同じく孝さんが当選できるよう働きかけてほしいという意味で持って来られたんだなと思いました」旨の供述記載があるところ、同女は、原審公判廷において、清酒の意味について、検察官に対する供述調書中において、投票してほしい、組合の人達に働きかけてほしい旨書かれているのであればそのとおりである旨繰り返し証言する一方、右のように思わないで清酒を受け取った旨も証言しており、その供述があいまいで変転しており、その変転の理由につき首肯すべきものが認められず、同女は検察官の尋問に対し、右供述調書は考えていることを正直に話したものであり、読み聞かされたが間違いなかったので署名した旨供述していること、

(6) 石渡一男の検察官に対する供述調書中には、「このお酒は市会選挙に立候補する髙梨孝さんを当選させるために組合の人達でビラ貼りをしたりして応援して貰いたい。そのように応援するだけでなく、票も入れてくれなければ当選できないのですから当然投票して貰いたいし私にも組合の人に働きかけて貰いたいというような意味でよこされたものと分りながら受取っていたのです。これまでに孝さん信一さん三富利雄さんからお酒を貰ったことは一回もありませんし選挙のこと以外で私の家と三人の方との関係でそのようにお酒を頂く理由はありませんでした。今後気をつけます」旨の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、選挙ポスターを張るのを頼むため清酒を持参してきたと思う旨及び、右供述調書の内容のような供述をした覚えはない旨供述しているが、検察官の尋問に対して、検察官から右供述調書を読み聞かされたが、内容が間違いないので署名した旨供述していること、

(7) 西崎馨の検察官に対する供述調書中には、「孝が飯森地区の人であり妻の話を聞いて市会議員に立候補するにあたり孝が当選するように私と私の家族に投票を依頼しに来たと同時に私が黒崎地区の生産班長をしていることから地区の組合員に孝が当選するよう働きかけをしてほしいという意味で酒を持って来たんだなと思いました。孝と酒をのんだのは消防分団にいた当時だけのことでここ二年位は酒をのんだり個人的なつき合いは全くしておらず親しい間柄ということはありません。従って酒を持って来たのは市会に立候補するからよろしくたのむという以外に考えられません」旨の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、被告人が何を頼みにきたのかわからなかった旨証言する一方、ビラ張りの依頼かとも思ったといい、また本件の趣旨について検察官の取調べで述べた内容もはっきり覚えていない、あるいは選挙運動、票が欲しいというように供述したかもしれない旨供述したり、あるいは検察官に対する供述調書の内容は間違っていないということで署名したとも、内容が多少違っていたが認めたともいうのであって、その証言内容は終始変転していてあいまいであるうえ、同人は、証言の最後に至り、清酒を持ってきた趣旨は、今考えてみると、選挙に関し組合長の立場で組合員に何かと協力してくれるようにしてほしいとのことである旨、供述調書の内容を裏付けるような供述をしていること、

(8) 川名健一の検察官に対する供述調書中には、「私は飯森地区から髙梨孝という若い人が今度の市会選挙に立候補するらしいとの噂を一寸耳にしたことはあったのですが、全然面識のない人ですから特別に気をかけていなかったのですが、先程申上げたように改めて本人から立候補するから宜敷くと挨拶をされたので私が高円坊東区の区長をして部落の人の世話をしているからなにかの折りには部落の人に髙梨孝さんのことを話して投票してくれるよう応援して貰いたいという気持や私や私方の家族にも投票して髙梨孝さんが当選できるように助けて下さいという意味で挨拶に来られ、その骨折賃というか、お礼の気持でそのお酒二本を置いて行ったのだとその時思いました」旨の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、当初、髙梨信一が最初に挨拶した内容について明らかにあいまいな供述をしていたうえ、本件翌朝清酒に気付き、その際違反になるものと思っていた旨述べながら、その後区長としての付き合いの酒なのか選挙の酒なのか判断に迷っていた旨供述を変えるなど、その供述にはあいまいで不自然な部分が目立つが、同人は検察官の尋問に対し、検察官の取調べの際、調書の内容を読み聞かされ、それが間違いないということで押印した、検察官に述べたことは真実間違いない旨述べていること、

(9) 広川信義の検察官に対する供述調書中には、「私は、髙梨孝さんが市会に出るのに私が地区の生産組合長をして世話役をしているので、折りを見て組合員の人に髙梨孝さんのことを話かけて投票するように応援して当選できるようにして貰い、勿論私や私の家族にも髙梨孝を応援して投票して貰いたいという気持でそのお礼としてその箱の品物をよこしたと思いましたので、選挙のことで品物を貰うと買収されたことになり、まずいなとは思った」、「断わらずにそのお酒を受取ったことはいけなかったと反省しています。その箱入りのお酒は選挙以外の私方への御祝とかお返しかという理由でよこされたものではありません。先程も話したように髙梨孝さんとはそれまで面識はなかったのですから選挙の投票をお願いします、また、他の知り合いにも髙梨孝さんに投票してくれるように頼んで、是非当選できるように応援して下さいという意味の他には貰った理由はありません」旨の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、当初、選挙になったら被告人のため組合員に働きかけてもらいたいという趣旨で清酒を持ってきたと思う旨供述しながら、後には、相手方が選挙のことで来たのはわかったが、その時はそれ以上のことはわからなかったなどとあいまいな内容の供述をしているが、同人は、検察官の尋問に対し、検察官の取調べでは、間違ったことは述べておらず、供述調書は読み聞かされたが内容は間違いないので署名した旨供述していること、

(10) 長沢菊次の検察官に対する供述調書中には、「祖母は眠っていましたが、翌朝になって、飯森の人が来て、選挙の頼みをしてお酒を置いて行ったよと言われ、箱の大きさから見て、中を見ませんでしたが酒二升だと思いました。直ぐに孝が私に投票を頼みに来たな、それも私が組合長なので組合の人にも話して投票をもらえる様頼めるので、それをして欲しくて酒を私に持って来たなと分り困ったことをするなと考えました。私が留守でも祖母に話して渡せば同じと考えて置いて行ったんだろうが弱ったなと思ったのです。しかし受取ったものは致し方ないと思ってそのままにしておくことにしました」旨の供述記載があるところ、同人は、原審公判廷において、本件がいけない酒であったとは述べるものの、なぜそうなのか、その清酒の趣旨については尋問に対して黙して答えなかったものであるが、検察官及び裁判官の尋問に対して、右供述調書は読んで貰ったが間違いないので署名したのであり、検察官の取調べの際述べたことは真実である旨供述していること、

(11) 澤村昭二の検察官に対する供述調書中には、「髙梨孝さんらが持って来られた酒は髙梨孝さんが四月に行われる市会議員選挙に投票をして貰いたいという意味で持ってこられたんだなと思いました。」、「貰ってはいけない品だとはわかっていたものの信一さんは私と同じ区長をやっている方で世話にもなっているので突き返すことはできませんでした」旨の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、同人に対する証人尋問の後半における検察官の尋問に対しては、ほぼ右供述調書の内容を肯定する供述をしているが、前半においては、同人の区に住む長谷川が立候補するかどうか確かめるために清酒を持って来たものであるような供述をしていて供述が一貫していないこと、また検察官の尋問に対し、検察官の取調べの際は無理な調べもなく、事実ありのまま述べたものであり、右調書は読み聞かされたが、内容も間違いないので署名したと供述していること、

(12) 前田武夫の検察官に対する供述調書中には、「その箱入りの酒は先程申し上げたように私が生産組合長をしていて組合員等との接触が多いだろうから折りをみて組合員の人達に髙梨さんのことを話して投票してくれるように頼んで髙梨孝が当選できるように応援して貰いたいという趣旨と、できれば私や私の家族にも投票して貰いたいということでよこされたもので、その他に私の家の個人的な交際で貰う理由は何一つありませんでした」旨の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、要するに本件清酒は名刺代りということで貰ったものであって、前記のような趣旨のものではない旨供述し、また右供述調書は、自分が述べる内容以上の間違った内容が記載されていたが、仕事も忙しいし、自分でそれにサインすれば楽ができるからということもあって署名したというのであるが、他方、同人は、検察官の取調べでは正直に述べたとも供述しているうえ、本件について警察の取調べを受けたのは一回だけで三時間位、検察官の取調べも一回で二時間ちょっとかかった旨供述しているのであって、自ら被疑者の立場にあった同人が右のような理由から調書に署名したというのは首肯しがたいこと、

(13) 村田昭一の検察官に対する供述調書中には、「台六さんは玄関の上り端に大きさや形から一目で酒二升入りと判る箱を置こうとしており何も言わずに置きましたが、これは今の挨拶とあわせて孝に投票して欲しいという頼みの礼でありたまたま私が生産組合推薦の農協理事という役をやっているから組合の人などにも頼んでくれて投票をまとめて欲しいという気持で持って来たもので役についていなかったら来ないだろうと考えました」旨の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、被告人らが清酒を持ってきた趣旨について名刺代りである、あるいは、選挙に協力してくれと頼みにきて置いていったものであるなどの供述を繰り返し、選挙に協力というのは、酒を受け取った時には、選挙にでも出たらビラ張りを頼む趣旨程度に思ったが、被告人が立候補した後の時点では、票を頼むという趣旨であるようにも思うようになった旨供述し、清酒を置いて行った目的、趣旨をどう認識したかについての供述は終始あいまいであること、右供述調書では右ビラ張りの点は何ら述べていないうえ、検察官の尋問に対し、検察官の取調べでは事実をありのままに述べ、無理にいわされたことはなく、右供述調書は読み聞かされたが、その通り間違いないので署名した旨供述していること、

(14) 古山菊太郎の検察官に対する供述調書中には、「三富さんと髙梨さんがこのように私に日本酒二本をくれたのは、近く市会議員選挙が行われる訳ですから当然髙梨さんが当選するよう私や私の家族に髙梨さんに投票してもらいたいというお礼の意味からだと思いました。それに私は農協の役員をしていますから赤羽根地区の組合員にも髙梨さんが当選するよう髙梨さんに投票することを働きかけてもらいたいという意味のお礼も含まれていると思いました。それ以外に私が髙梨さんや三富さんから日本酒をもらう理由は全然なかったのです。二人は選挙だからこそ私にくれた」、「今回の件については知り合いの人から渡されましたから断りづらかったこともあって、つい受取ってしまった訳ですが軽率であったと本当に反省している」旨の供述記載が存するところ、同人は原審公判廷において、被告人らはただ「よろしくお願いします」といったもので、何の目的で来たかわからない、選挙のために何か頼みがあってきたと供述しながら、その頼みの具体的内容については黙して答えず、現在本件に関して自分の裁判が継続中であるので、清酒の趣旨等について供述したくない旨述べて供述を拒否していること、右供述調書については、その内容のようなことは述べていない旨供述しているが、調書は読み聞かされて内容は承知のうえで署名したことはこれを認める供述をしていること、右のように供述しながら、右のような調書に署名した理由については何ら供述していないこと、

(15) 鈴木清蔵の検察官に対する昭和五八年四月二九日付供述調書中には、「この市議会議員選挙には高円坊が属する初声町下宮田から髙梨孝という人が立候補し当選しましたがこの人に投票してくれというたのみをしに四人の人が来て私の知らぬ間に酒二本を置いて行ったことがあり、それに気付いた私はそくざに髙梨の家へ届けて返しました。しかも酒を届けて来たのは選挙運動期間前つまり立候補の届出以前のことでした。私も自分の選挙運動をしたことがありますから、今日の髙梨の選挙のやり方は事前運動戸別訪問そして買収に当ることが判っていましたから、勝手に酒を置いて行ったのに気付いたらすぐに返しに行った」旨、同人の検察官に対する同年五月一〇日付供述調書中には、「私はその前から髙梨孝が市会選に立候補するらしいという話を聞いていましたから嫁の話を聞いて、これは髙梨孝達が、髙梨孝が当選できるように髙梨孝に投票してくれとか、私が元市議だったですから私に髙梨孝の票集めをしてもらいたいという意味で挨拶をしお酒をよこしたものと思った」旨の各供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、本件清酒は選挙に関係があり、貰ってはいけないと思い、翌日被告人に直接返したが、選挙のどういう趣旨であったかそれまでは深く考えなかった旨供述して提供の趣旨について供述を回避する態度を示しており、一方検察官の取調べではありのままを供述し、無理な調べはなく、右各供述調書には自分の述べたとおり書かれており、読み聞かされたが間違いがなかったので署名した、無理な取調べということではなかった旨供述していること、

(16) 鈴木常生の検察官に対する供述調書中には、「勿論私が高円坊丸コ地区の生産班長をしているため組合員に対して孝さんを当選させるよう働きかけをしてくれという票の取りまとめの意味と私自身や私の家族の人達にも孝に投票してくれという意味で置いて行こうとしたことはすぐわかりました」旨の供述記載があるところ、同人は原審公判廷において、訪問を受け清酒を置いていった時挨拶に来たと思っただけである等とその趣旨等については明確な供述をせず、また検察官の取調べでは、「こうではないか」というので、「多分そうじゃないかな」ということで肯定したのが調書に記載されたものであるとも述べる部分があるけれども、右供述調書は読み聞かされて署名した旨供述していること、

(17) 沢村力二の検察官に対する供述調書中には、「私はこのようにして箱入りの日本酒二本を受取ったのですが、これは髙梨孝さんが四月二四日の市会議員選挙に立候補するので、投票日には髙梨さんに私や私の家族の票を入れて貰いたいし、また、私が組合長をして生産組合の世話をしているので、その組合の人達にも折りを見て髙梨孝さんのことを話して選挙の時に投票してくれるように私から話をして貰いたい、そうして是非当選させて貰いたいという意味でそのお酒を持ってきたと分りましたが受取ってしまった」旨の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、清酒を受け取ったことは認めながらも、被告人らの来訪や清酒を置いて行った目的・趣旨については終始供述を回避しており、一方検察官の取調べでは事実をありのまま述べたこと、無理な調べは受けていないこと、右供述調書は読み聞かされ署名した旨供述していること、

(18) 伊藤昭二の検察官に対する供述調書中には、「私は選挙に立候補すると挨拶をされたので、これは私が区長をしているので、赤羽根区の人達にそれとなく髙梨孝さんに投票してくれるように働きかけて貰って当選できるように応援して欲しいし、勿論、私や、私の家族には髙梨孝さんに投票して貰いたいという気持で、その骨折りのお礼として一杯飲んで貰いたいという趣旨で、そのお酒を置いて行ったと思ったのですが、直ぐ返すことはせず、受取ってしまった」旨の供述記載があるところ、同人は、原審公判廷において、被告人らの訪問の目的について、当初は単に顔見せに来た程度に考えていたと供述し、次いで、区民に投票するよう頼んで欲しいということで来たと理解した旨述べ、最後は、後の時点になって票に結びつくのでいけないことだと理解したようにも述べ、その証言内容は変転していて必ずしも明確でないこと、一方、検察官の取調べに対してはありのままを述べ、取調べ官から結論を押しつけられるということはなく、供述調書は読み聞かされたが内容は間違いない旨供述していること、

(19) 原田英夫の検察官に対する供述調書中には、「私が当時二期続けて黒崎区長を勤めていて、色々と部落の世話役として働いていたので、区長から黒崎部落の内部をまとめて頂いて応援協力して頂きたいということで部落内の投票の取りまとめや、私や私の家族にも髙梨孝に投票して当選させて貰いたいので挨拶に来ました、その御苦労賃というか、お骨折りのために一杯飲んで下さいという意味で箱詰のお酒を置いて行ったものともその時は思いました」旨の供述記載があるところ、同人は、原審公判廷において、被告人らは選挙のことで酒をもってきて、ただお願いしますということで帰っていったが、酒を返さなきゃいけないと思っていたというものの、さらに本件訪問、清酒提供の趣旨について具体的に尋問されると証言内容はあいまいとなっていること、一方、同人は検察官の尋問に対し、検察官の取調べではありのままを述べ、供述調書の内容は読み聞かされたが間違いないということで署名した旨供述していること、

(二)  共犯者の供述

(1) 髙梨信一の検察官に対する供述調書(三通)中には、要するに、被告人に頼まれて本件戸別訪問をしたが、それは、被告人は若年で知名度も低いので、その名前を被訪問者らに売り込み、同人やその家族の投票を得、あるいは区ないし生産組合の人達に被告人のため投票してくれるよう働きかけて貰うためであり、清酒供与の趣旨も右の狙いと同じであったこと、本件訪問当時には被告人はすでに立候補を決意していた筈で、瀬踏みというような段階ではなく、瀬踏みに行ったものではない旨の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、本件訪問は立候補の挨拶廻りであり、投票、投票取りまとめの依頼の趣旨ではなく、清酒は挨拶廻りに伴う儀礼的なものである、当時、被告人の立候補の意思は不確定的であった旨供述しており、また、三富利雄の検察官に対する供述調書(五通)中にも右髙梨信一の供述調書と略々同趣旨の供述記載が存するところ、同人も、原審公判廷において、右髙梨信一の供述と同様の供述をしており、さらに、小牧勇の検察官に対する供述調書(五通)中にも右髙梨信一の供述調書と略々同様の内容の供述記載が存するところ、同人は、原審公判廷において、右髙梨信一と略々同趣旨の供述をしていること、

(2) 右髙梨信一は、原審公判廷において、検察官の取調べでは、事実と違うことを押しつけられ、自分が違うと言ったことも供述調書に記載されていると供述する部分もあるが、供述調書の内容は読み聞かされ、その内容を承知のうえ署名したものであり、また検察官の取調べが連日長時間に及ぶものではなかった旨供述しているほか、同人は検察官の弁解録取に対し、本件が投票及び投票取りまとめをして欲しいという趣旨のものであったことを認める供述をし、裁判官の勾留質問に際しては、事実はそのとおり間違いない旨述べていること、

(3) 三富利雄は、原審公判廷において、検察官の取調べに際しては、投票及び投票取りまとめ依頼の趣旨ではない旨述べても調書に書いてくれず、検察官のいうことを押しつけられ、やむなくそれを認めて署名したように供述しているが、検察官の弁解録取の際には、事実はそのとおり間違いない旨述べるとともに、清酒を調達したのは自分である旨、被告人を庇うため虚偽の供述をしており、右供述どおり調書に記載されていること、また裁判官の勾留質問に際し、事実はそのとおり間違いない旨述べていること、

(4) 小牧勇も原審公判廷において、捜査官から押しつけられて供述調書が作成された旨また、検察官に対する供述調書の内容は読み聞かされ、意にそわない内容であったが、そう言われればそうかなあと思い署名した旨供述しているが、同人は在宅のまま取調べを受けており、取調べの回数、時間についても特に問題がないこと、以上のような事実を認めることができる。

3  以上のとおり、本件事案の内容に照らし、右供述者二二名の検察官に対する各供述調書の内容は極めて具体的、明確で自然であるのに対し、原審公判廷における供述は、不自然または不合理、あるいは曖昧であること、右供述者らは、いずれも各供述調書の内容を知りながらこれに署名していること、右各供述者は、いずれも被告人と同じ地域に居住し、そのほとんどが被告人と同じ農業を営むものでもあり、特に共犯者らは被告人を積極的に支持、応援したのであって、被告人あるいは共犯者らに対する遠慮から直接被告人の面前で被告人に不利益な事実を述べにくかったものと窺われること、同人らは、いずれも公職選挙法違反の被疑者として取り調べられたもので、本件の目的・趣旨が投票ないし投票取りまとめ等の依頼の報酬にあることを認めることは、即、自己の犯罪を認めることになる点を十分に承知していたと思われること、被訪問者側及び共犯者小牧勇の取調べは在宅のままで行なわれ、被訪問者側の者についての検察官の取調べは一、二回程度であり、共犯者髙梨信一、同三富利雄は検察官の弁解録取、裁判官の勾留質問という捜査の初期の段階から本件の趣旨・目的について自認していたのであって、捜査官が同人らに直接強制を加えるとか、連日長時間にわたり取り調べるなど、その供述の任意性、信用性に影響を及ぼすほどの特段の事情は窺えないこと等に徴すれば、右被訪問者・受供与者側一九名、共犯者三名の検察官に対する供述調書合計三三通については、同人らの公判廷供述よりも信用すべき特別の情況があると認められ、原審がこれを同法三二一条一項二号書面として証拠能力を認めて本件証拠に採用したのは相当であったと考えられる。したがって、右各書証の採用について原審には所論のような訴訟手続の法令違反はない。

また、審理不尽の点をいう所論については、右のような証拠関係のもとで以上説示のとおり十分に右各書証の証拠能力を肯定することができるものであるから、原審が、担当捜査官を証人尋問することなく、右各書証の採用を決定したことは何ら審理不尽ということはできない。論旨は理由がない。

三  控訴趣意第一点の第一の論旨(事実誤認)について

所論は、要するに、原判決は、被告人が本件選挙に立候補することを決意したうえ、初声町の各地区の区長や生産組合長などの地元有力者を訪問して自己の名前を売り込むとともに投票や投票取りまとめを依頼しようと思いつき、髙梨信一、三富利雄らと共謀のうえ昭和五八年三月一七、一八、二三日の三日間にわたり合計四〇戸を訪問し、自己のための投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をされたい旨依頼して戸別訪問するとともに、その際右依頼の報酬としていずれも清酒一・八リットル瓶二本を提供してこれを供与しあるいは供与の申込みをし、一面立候補届出前の選挙運動をしたとの事実を認定したけれども、被告人は、地元から他の人が立候補しないこと及び下宮田四区、すなわち、飯森区、元屋敷区、神田区、黒崎区全部の推薦ないし応援が得られることを立候補の条件と考えていたのであり、本件立候補を決意したのは、すくなくとも同年四月五日ころ以降であったし、また、本件訪問は地元の慣行に従い単に飯森区、飯森生産組合の推薦を受けた旨の挨拶廻りであって、被告人はその機会を利用して地元の支援が得られるかどうかの情勢判断をするいわゆる瀬踏みをしたにすぎず、清酒も地元の慣行に従い右挨拶廻りをする際の手土産にすぎないのであって、投票依頼等の謝礼の気持は全くなかったものであるから、前記のように認定した原判決には判決に影響を及ぼすこと明らかな事実の誤認があると主張する。

しかし、本件各証拠によれば、原判示事実は以下に判示するとおりこれを優に認定することができ、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調べの結果を参酌して検討しても、原判決に所論のような誤りがあるとは考えられない。

1  立候補決意の時期について

(一)  まず、被告人の立候補決意の時期について検討するに、関係証拠によれば、本件三浦市議会議員選挙も間近かに迫った昭和五八年三月初めころの初声町地区の選挙情勢については、初声町下宮田の元屋敷区(三浦市は、三崎町、南下浦町、初声町から成り、初声町は前記のとおり下宮田、高円坊、三戸、和田の四つの大字から成り、下宮田は飯森区、元屋敷区、神田区、黒崎区に分かれる)居住の現職市議大井誠治が病気のため立候補できないらしいとの話が出ており、また初声町から立候補するのではないかとの噂の出た人物も数名いたけれども、いずれも具体的な準備をしている様子も窺われず、結局初声町からは誰も出ないのではないかとの観測が流れるかたわら、三崎町地区の候補者が初声町を地盤として立候補するのを元屋敷居住の元市議三留豊治が応援するとの噂も広まっていたこと、被告人は、農業のかたわら、昭和四五年ころから初声町下宮田旧部落有財産の特別管理者代表、昭和四六年ころから三浦市消防団員、分団長、班長、昭和五二年より初声町下宮田四区の区有地管理委員会委員・事務局長、昭和五七年ころより地元飯森土地区画整理組合設立準備委員会委員、同組合事務局担当理事等の役職を勤める一方、昭和四八年には衆議院議員田川誠一の後援会青年部に入るなど政治にも関心を抱いていたところ、前記のような初声町地区の情勢のため、当時三一歳と若くて知名度も低かったけれども、友人髙梨和吉らと相談するうち、同月初めころ、同地区から他に立候補する者がなければ自ら立候補しようと考えるようになったこと、同月七日ころ、市役所を退職して挨拶廻り中の杉山要は、被告人と出会った際、被告人が出馬するとの噂を聞いていたことから被告人にその意向を尋ねたところ、被告人は「ええ、やることになりました」と答えたことがあること、被告人は同月七、八日ころ、前記飯森区長の髙梨信一、三浦市農協理事(飯森区居住)の三富利雄に個別に会って立候補の意思のあることを告げたところ、同人らも賛意を示してくれたので、両名で現職市議大井誠治方に赴いて同人が出馬するのかどうか意向を確かめて貰うよう依頼したこと、右両名は、翌日ころ、右大井方に赴き同人の妻喜代子に会って大井誠治が健康上の理由で来月の三浦市議会議員選挙には出馬しないことを確認し、被告人にその旨を告げたこと、次いで被告人は、同月一一日、髙梨和吉と相談し同人と同道して三富利雄を訪ね、市議選に出るについて飯森部落(区)で推薦してくれるよう髙梨区長に頼んで貰うよう依頼し、右両名とともにその足で髙梨信一方に赴き、市議選に出るので区の推薦をしてもらいたい旨の依頼をしたところ同人は組長会議に諮ることを約したこと、同月一二日夜、飯森区の隣組々長会議の席で右信一が被告人の推薦依頼の件を諮ったところ格別の異議もなく推薦決定となったこと、右推薦決定を受けた被告人は、同区の生産組合の推薦も得るべく、翌日ころ飯森生産組合長の髙梨正雄を訪ね、同人に対し「今度市会に立候補したいと思っているので組合の推薦をもらいたい。お願いできないだろうか」と組合の推薦方を頼み、これを諒承した同人が同月一五日夜同組合の役員切りかえの総会の席でその旨組合員に諮った際、被告人も右総会に出席して「区の推薦はいただきましたのでよろしくお願いします」と挨拶をし、なお二、三の人から普段の被告人の態度がよくないなどという批判が出たのに対し、被告人は、「俺の悪いところは何でも言って下さい。直しますからよろしくお願いします」、「地元のために働きますからよろしく頼みます」などといって頭を下げ、結局被告人の推薦が決定したこと、またその際同組合の新旧役員が被告人の選対委員となる話になったこと、被告人は、右のようにまず飯森区、同区の生産組合の推薦獲得に努めるとともに、同月一二日ころには鎌倉市の石井印刷に電話をかけたうえで同月一四日右石井印刷及びカメラマン須藤史朗方に赴き、右須藤に選挙ポスター用の顔写真を撮影してもらい、同月二二日再び右石井印刷に出向き、選挙用ポスターの顔写真一枚を選び出し、右須藤に写真代四万円、右石井印刷にポスター代内金として一〇万円を支払い選挙用ポスター作成の準備を進めたこと、そして同月三〇日ころ右石井印刷に選挙用ポスター一五〇〇枚、後援会入会申込書六〇〇〇枚、パンフレット六〇〇〇枚、選挙用推薦はがき二五〇〇枚を代金合計七一万一〇〇〇円で発注したこと、また前記のように推薦決定を受けた被告人は、前記髙梨信一、三富利雄、小牧勇らに依頼し同人らとともに同月一七、一八、二三日と三日間にわたり初声町の各区長、生産組合長、農協理事・監事、現・元市議会議員ら有力者四〇名を各戸に訪問したが、その際、髙梨信一ないし三富利雄が相手方に対し、概ね、「今度市議会に飯森区と組合の推薦を受けて立候補することになった髙梨孝ですけれどもよろしくお願いします」などといって被告人を紹介し、これを受けて被告人も「よろしくお願いします」などと挨拶し、被告人において予め用意していた一・八リットル入り清酒二本あてを各戸に置いて帰ったこと、被告人らは、その後飯森区以外の下宮田三区及びその地区生産組合の推薦を得るべく、それらに働きかけ、現に同月二二日ころ髙梨信一方で元屋敷区長森一雄、神田区長石渡典夫に推薦方を要請し、そのころ黒崎区長原田英夫方に被告人、髙梨信一が赴いて同様に要請し、さらに同年四月二日ころ被告人、髙梨信一、三富利雄が右森一雄方及び元屋敷区の主な役員方を廻って推薦方を働きかけたこと、その結果、同夜元屋敷区は、推薦ではなかったものの被告人の全面協力を決定し、また告示直前ころの同月一〇日ないし一二、三日ころになって黒崎区の丸く生産組合、神田区の丸か生産組合がそれぞれ被告人の応援決定をしたこと、被告人は、同年三月一九日市選挙管理委員会の立候補予定者のための事前説明会に出席したものの、同年四月三日午後二時に指定された立候補書類の事前審査には出席せず、翌四日及び五日に立候補に必要な書類を整えたうえ五日に右審査を受けたこと、そして告示日の同月一四日に立候補の届出をしたこと、以上のような事実を認めることができる。

(二)  以上のような本件立候補に至る経緯、本件訪問の態様や訪問時の状況、特に、被告人が地元選出の現職市議の不出馬の意思を確認し、地元飯森区・生産組合の推薦を取りつけて対外的にも立候補の意思を表明し、選挙用ポスターを撮影するなど立候補に向けて着々と準備を整えていたこと、飯森生産組合の推薦の席で、以後悪いところは改める旨まで述べて推薦を得ようとしたこと及び右の席で同組合の新旧役員が被告人の選対委員になる話になったこと、本件訪問時等の被告人の言動のほか、わざわざ下宮田地区の有力者方全部を訪れ自ら用意した清酒二本ずつを提供する行為に及んだこと、さらには、右訪問に同道した髙梨信一らも本件訪問時には当然被告人に立候補意思があるものと考えており、決して被告人が立候補するかどうかわからないとは思っていなかったと認められること(原審公判廷における証人三富利雄の供述、同人の検察官に対する昭和五八年五月三日付供述調書、髙梨信一の検察官に対する同月四日付、同月七日付各供述調書、小牧勇の検察官に対する同月一二日付供述調書((いずれも謄本)))、その後立候補するに至っていることなどの諸事情を綜合すれば、本件各訪問時には、すでに被告人が立候補を決意していたと認定した原判決には何ら不合理な点はなく、右認定は相当であると認められる。

被告人は、原審公判廷において、当初地元から他の候補者が出馬しないこと及び下宮田四区の推薦を得ることを立候補の条件として考えており、元屋敷区が被告人の全面応援を決定したとの報に四月三日夜接し、他地区の関係でも応援が得られるとの見込みのもとに同月五日になってはじめて立候補を決意した旨供述しており、なるほど当審証人髙梨和吉もこれにそう供述をし、前記のように、被告人が四月三日に予定されていた立候補届出書類の事前審査を受けず、五日になって右審査を受けた経緯もないではない。しかし、前記のように被告人はすでに三月三〇日には選挙用のポスターの発注枚数を決め選挙はがき等とともに代金合計七一万一〇〇〇円で印刷の発注をしているうえ、神田区、黒崎区への働きかけによりその応援を得ることができる可能性があったとはいえ、四月五日段階では末だ現実に右両区ないしその生産組合の推薦・応援決定を得ていなかったこと、その後も両区の推薦応援決定を得ることがないまま一四日に立候補の届出をしていること、その後においても結局神田区、黒崎区の推薦ないし応援決定は得られなかったこと、初声町から出るのではないかとの噂のあった者も具体的に立候補の準備を行なっているとの情報は終始なく、現に立候補した者もいなかったことなどの諸事情に徴すれば、被告人が当初下宮田四区の推薦を得る必要があると考えたことはあったにしても、それを立候補するための絶対的前提条件とまで考えていたとは到底認めがたく、四月五日になってはじめて立候補を決意したとの被告人の供述及びこれにそう前記髙梨和吉の証言等は到底措信することはできない。

また、仮に、本件訪問時において、被告人が有していた立候補の意思が未だ確定的決意といえるまでには達していなかったもの、すなわち、被告人が立候補を予定している程度にすぎなかったものであったとしても(すくなくとも被告人に右予定があったことは本件証拠上全く疑いがない)、被告人が本件市議会議員選挙に自ら立候補することを予定して公職選挙法一二九条(事前運動)、一三八条一項(戸別訪問)に違反する行為や同法二二一条一項一号(買収)の行為に出た以上、右各罪の成立を妨げないものと解すべきであるから(最高裁判所昭和四〇年二月三日第二小法廷決定・刑集一九巻一号三二頁、同昭和四三年一一月二六日第三小法廷判決・刑集二二巻一二号一三八〇頁参照)、右立候補の確定的決意がなかったということは本件各犯行の成否に影響を及ぼすものではないこと明らかである。

2  訪問の目的・清酒提供の趣旨について

(一)  次に本件訪問の目的及び清酒提供の趣旨について検討するに、関係証拠によれば、

(1) 被告人らは、本件訪問の際、応待に出た者に対し、細部の表現において若干の差異はあるものの、概ね、前示のように髙梨信一らにおいて「今度飯森区と組合の推薦を受けて立候補することになった髙梨孝です、よろしくお願いします」とといって被告人を紹介し、被告人も「よろしくお願いします」などという内容の挨拶をしているものであり、右挨拶の内容や右訪問の時期等からみて被告人らの本件訪問の目的、狙いが市議選に関連するものであったことは全く疑いのないものであること、

(2) すでに判示したように、被告人は、本件行為に先立ち三月一二日と一五日に飯森区・同生産組合の推薦決定を得たり、一四日には選挙ポスターの写真撮影をするなど積極的に立候補・当選のための準備を押し進めていたものであるが、本件は、その直後ころにおいて、地元下宮田地区内の住民や組合員に対し影響力を有する立場にある有力者である同地区内の区長・生産組合長・農協理事・監事全員及び現・元市議会議員合計四〇名を親疎の区別なく無差別的に順次訪問し、前記のような挨拶に添えて清酒まで置いてきたものであること、

(3) 被告人は、若年であって初声町内の有権者、特に高年齢層に対しては知名度が低かったうえ、立候補の意思が外部に明確に表明されたのは飯森区の推薦決定を得たころであってすでに出遅れており、早急に被告人の立候補の意思を地元初声町内各地区に浸透させるとともに、各区長・組合長・理事らから区内住民や組合員に働きかけてもらって支持基盤を拡大し、もって選挙を有利に導く必要性が強かったこと、

以上のような事実を認めることができる。

(二)  以上のような諸事情に、訪問に同行した前記髙梨信一、小牧勇、三富利雄の前掲検察官に対する各供述調書、被訪問者らの前掲検察官に対する各供述調書等を綜合すれば、被告人は、自己に対する投票及び投票取りまとめを依頼する目的で前記の有力者方を訪問したものであることは極めて明白である。

そこで所論は、本件訪問は瀬踏みであった旨主張し、被告人も原審公判廷において同趣旨の供述をしているが、若しそういう目的で訪問するのであれば、依頼をして同行して貰った前記髙梨信一らに当然その趣旨を告げ、また訪問を終った後は情勢分析をし立候補の可否を検討し合うのが当然であろうと考えられる。しかし被告人は右髙梨信一らに右のような瀬踏みの目的で訪問するものであるということなどは全く告げず、また訪問後立候補の可否を検討しあったこともないことは証拠上明らかであるところ、被告人は、原審公判廷において、右髙梨信一らは単なる道案内程度にしか考えていなかったから、一々訪問の目的などを説明はしなかった旨供述しているが、これは被告人に当選を得させるため、被告人の頼みに応じ訪問に同道した区長らに対する言としては極めて牽強付会のそしりを免れず到底措信することはできない。のみならず、前記のような本件訪問の経緯、訪問時の被告人らの言動のほか、前記の髙梨信一らの検察官に対する各供述調書、特に三富利雄の検察官に対する昭和五八年五月三日付供述調書中における「孝としてもそうして役員の家を廻る以上当然今回の市会議員選挙に立候補する決意はしていたはずで、単に立候補するかしないかを決めるための準備といったものではありませんでした。先程言ったように孝は既に飯森の部落とか生産組合の推薦を得て立候補は決めていたはずですし、下準備のために役員の家を廻るなどという話は聞いたこともないからです。私としても孝が部落ないし初声町の代表の形で立候補する以上、孝に当選してもらいたいと思いましたからそのために一肌脱いでやろうと思った」旨の供述記載、三富利雄の検察官に対する同月九日付供述調書中の「髙梨孝は私達と一緒に初声町内の役員の家を廻って酒を配るようになった今年の三月一七日までには今度の三浦市議会選挙に立候補する決意をしていたはずです。というのも私は孝が三月一〇日ころ私の家に区の推薦をお願いしに来た時孝本人から区の推薦が得られれば立候補すると聞いていましたし、その後も孝の決意を疑わせる言動が全くなかったからです。ですから今回私達が役員の家を廻って酒を配って来たのも単に役員の人達の感触を窺うとか立候補を決意するに当たっての下調べをするといったものではありませんでした」旨の供述記載(同人らの原審公判廷における供述中には、選挙情勢視察ないし分折の目的があったように述べる部分もあるけれども、その措信し得ないことは前記特信性についての判断において判示したとおりである)に徴しても、本件訪問が所論のような単なる瀬踏みを目的としたものでなかったことは明らかであると考える。

(三)  被告人は、右のような目的で有力者の自宅を訪問し、前記のような挨拶をして清酒二本ずつを置いて帰って来たものであること、供与の申込みを受けた小牧孝一、大井誠治、鈴木清蔵は清酒を受け取ることは選挙違反になるとして受領を拒否し直ちに返還していること、他の受供与者らにおいても、受け取ることはいけないと思いながらも髙梨信一らに対する義理上角が立つので断ることもできず、受け取ってしまったとするものもあること、以上のような経緯や諸事情に前記髙梨信一らの訪問者及び被訪問者らの検察官に対する各供述調書を綜合すれば、本件清酒は、投票並びに投票取りまとめを依頼し、その報酬の趣旨として提供されたものであることは明白であるといわなければならない。

そこで所論は、被告人の地元では区や生産組合の推薦をうけた場合、関係地区内の役職者に挨拶廻りする習慣があり、清酒の持参も地元の慣行に従った手土産に過ぎず、投票依頼ないし投票取りまとめの報酬といった気持ちは全くなかった旨主張し、被告人も原審公判廷において同趣旨の供述をし、また前記小牧勇、髙梨信一、森一雄らも原審公判廷においてこれにそう供述をしているけれども他方前記古山菊太郎、鈴木清蔵は原審公判廷においてそのような習慣はなかった旨供述し、また三富利雄の同年五月九日付検察官に対する供述調書中にも「候補者が立候補するに先立って町の役員の家を全部廻るというようなことは今だかつてなかったと思うし、今までに誰かがそんなことをしたという話を聞いたこともありません。役員の家を廻るというしきたりといったものもないはず」との旨の供述記載があり、また、前記髙梨信一らが本件清酒を配って廻ったのを慣例に従った当然の正当な行為であると認識していたと窺わせる証拠はなく、また本件受供与者らも殆んどの者が、原審公判廷において、貰ってはいけないものであると思った旨供述しているのであって、そもそも、公職の選挙に立候補する前に選挙運動をすること、立候補前であっても、立候補を予定している者が当選を得る目的をもって戸別訪問をすること、また当選を得る目的をもって物品を供与しまたは供与の申込みをすることは公職選挙法において禁止され、その違反行為は処罰されるものであること、以上のような諸事情に徴し、前記の被告人の供述、小牧らの供述は到底措信し難く、所論のような慣例が存したものとは認められない。仮りにそのような慣例が存していたとしても、それが選挙違反に問われることのあり得ることは当然といわなければならない。

(四)  以上のとおりであって、右のような本件行為の時期・態様・相手方、当時の被告人をめぐる選挙情勢、本件が被告人らのいう瀬踏み行為などとは考えられず、またその主張のような習慣があるともいえないこと、共犯者及び被訪問者らの検察官に対する各供述調書の内容などの諸事情を綜合すると、その余の所論指摘の点を考慮しても、本件訪問の目的は前記認定のように投票及び投票取りまとめ等の選挙運動をしてもらいたい旨の依頼をする点にあり、また右依頼の報酬として清酒を提供したと認めるのが相当であり、原判決に何ら事実の誤認はない。論旨は理由がない。

四  控訴趣意第一点の第二の論旨(理由不備・齟齬、審理不尽)について

所論は、(1) 原判決摘示の証拠だけでは原判示罪となるべき事実を認定できないから原判決には理由不備があり、(2) 原判決摘示の証拠中には原判示事実が認められないとする証拠も多数混在するから、原判決には理由齟齬があり、(3) 原審において弁護人が証人五人の取調べを申請したのに、原審はこれをいずれも却下してその立証趣旨を明らかにするための審理をしなかったものであり、原判決には審理不尽に基づく理由不備があると主張する。

しかし、すでに説示したとおり、原判示事実は原判決のかかげる証拠により優に認定することができるものであり、記録によれば、原判決のかかげる各証拠中には、一個の証拠(例えば一通の供述調書)中に原判示認定にそう部分とそわない部分とが混在する証拠もないではないけれども、それは原判示認定にそう部分につき採用し、そわない部分はこれを採用しなかった趣旨と解せられるのであり(なお、原判決掲記の証拠中、原判示認定にそう部分のない証拠は存在しない)、また、所論のように原審は弁護人の証人五名の取調べ請求をいずれも却下したけれども、原審審理の状況、証拠関係、本件事案の内容等に徴すると、原審が右証人らを却下したことが証拠の採否につき認められる裁判所の裁量権行使の範囲を逸脱したものとは考えられず、原判決に所論のような理由不備・齟齬ないし審理不尽に基づく理由不備があるとは認められない。論旨は理由がない。

五  控訴趣意第二点の第三の論旨(法令適用の誤り、審理不尽)について

所論は、要するに、本件受供与者側の原審証人のうち、石渡ヤマ、進藤俊徳、山崎喜久雄、大井新三、石渡一男の各証言中には、本件清酒について受供与でなく受交付と受け取れる部分があり、また本件受供与者側の川名健一、広川信義、長沢菊次、鈴木政好、鈴木常生、川名次郎の検察官に対する各供述調書中には、生産組合員ら又は区の役員全部に本件清酒が渡されたものと考えてこれを新組合長・新区長に引き継いだ旨の記載があり、これらについては、被告人の行為は供与罪ではなく交付罪をもって処断すべきであるのに、原判決が供与罪の規定を適用したのは違法であるうえ、被告人の検察官に対する供述調書、共犯者・受供与者らの検察官に対する各供述調書及び各原審証言を精査しても、本件行為が供与の目的なのか交付の目的なのかを峻別できる明確な供述がないから、原審には交付なのか供与なのかの点につき審理不尽の違法があると主張する。

しかし、本件関係証拠によれば、本件清酒提供の際被告人らは相手方に対し組合員あるいは区の皆さんで飲んで下さいなどとは何ら言っておらず、被告人らは、訪問の相手方である区長、組合長、理事・監事らに投票及び投票取りまとめを依頼し、その謝礼として本件清酒を提供したものであり、提供を受けた相手方がその後右清酒をどのように処分するのかについては一切関知せず、すべて被提供者の裁量に委ねたこと、つまり被訪問者である区長らに供与する趣旨で提供したものであり、区民あるいは組合員に供与するため同人らに寄託したものでないことは証拠上疑う余地はない。そして、また被提供者側においても、右の供与の趣旨を知りながらこれを受領したものであることは証拠上明白であるといわなければならない。

なるほど、(1) 石渡ヤマは原審公判廷において所論指摘のとおりの供述をしているが、同時に、投票及び投票取りまとめのお願いに来て、その意味合いで酒を置いて行ったと思う旨の供述もしておりまた石渡一男の検察官に対する供述調書中にも同様趣旨の供述記載があるほか、同人の原審公判廷における供述によると、同人は右清酒を自宅に保管していたが、本件について警察が捜査をしていると聞き、開票のあった後、当選祝いとして本件受領にかかる清酒を被告人の選挙事務所に返したものであることが認められ、右の諸事情によると石渡一男は供与の趣旨を知りながら受領したものであると認めるのが相当であって、石渡ヤマの所論供述をもって交付の疑いがあるとすることはできない。(2) また、進藤俊徳は、原審公判廷において、所論指摘のように、組合員で飲んで下さいという意味と思った旨供述しているが、同人はまた、被告人らは生産組合長の立場にある同人に、組合の人達に働きかけて被告人の票になるようにして欲しいと思って訪ねて来たと思ったとも供述しており、また結局受取った清酒は同人が飲んでしまったと供述していることに照らし前記供述は措信し難く、同人も供与の趣旨を知りながら受取ったものと認めるのが相当である。(3) 山崎喜久雄は原審公判廷において、「お酒を渡されるときに、あなたの調書によると、飯森区の髙梨区長さんがあなたに、山崎さんよう、お酒好きだからよう、飲んでよと言って清酒らしい箱を差し出したんですぐ自分は受取って自分の下のところに置いたという趣旨のことを述べているんですが、そういう話はあったんですか」との弁護人の問に対し、「ええ、それで自分は一時ここへ廊下の玄関にいたから」と答え、次いで「区にくれたとすれば、今言ったようなことを髙梨区長さんが言わないと思うので聞くわけなんです。その話を聞いてあなたは区にくれたものだと思ったんですか」との弁護人の問に「ええ」と答えたものであることが明らかであるが、右の答は不自然であってそのとおりには措信し難く、同人は同時に投票及び投票取りまとめを頼むという意味合いで酒を持って来たものである旨供述しているのであって、同人が供与の趣旨を知りながら受領したものであることは明白である。(4) 大井新三の検察官に対する供述調書中には所論指摘のとおり「孝さんから貰った酒そのものはそのうちに組合員の集まり等があった際みんなでのんで貰うよう出すつもりでおりました」旨の供述記載があるが、投票及び投票取りまとめを頼みその謝礼の意味で酒を持って来たものである旨の供述記載も存するのであって、みんなで飲んで貰うというのは同人がそのような処分方法を選択したに過ぎないものと解するのが相当であるから、右供述記載をもって、交付の疑いがあるとすることはできない。

また、所論指摘のように昭和五八年三月末日で区長及び生産組合長の大部分が新区長、新組合長と交替したことが証拠上明らかであり、交替に際し、受け取った清酒を新区長あるいは新組合長に引き継いだ者があることも所論指摘のとおりである。しかし、所論指摘の川名健一、広川信義、長沢菊次、鈴木政好、鈴木常生、川名次郎の検察官に対する各供述調書によれば、本件受供与者のうち右の者ら六名はそれぞれ新区長、新組合長に受け取った酒を渡しているが、同人らはいずれも投票及び投票取りまとめの依頼に対する謝礼の趣旨で渡されるものであることを知りながら受け取ったものではあるけれども、それは区長あるいは組合長としての影響力の行使を期待し、右の地位と不可分の関係で供与されたものであるから、その処分は新しい区長あるいは組合長が行うのが適当であるということから引き継がれたものであると解するのが相当であって、区あるいは組合に引き渡されたものではなく(長沢菊次の場合を除いては、何れも新区長あるいは組合長から被告人の選挙事務所に返還されていることが証拠上明らかである)、右は受供与者の処分権行使の一形態に過ぎないものというべく、右の事実をもって、本件が供与ではなく交付であるとなすことはできないこと明らかである。

以上のとおりであって、原審で取り調べた証拠により本件清酒が交付されたものでなく供与されたものであることが優に認められるのであり、原審には所論のような審理不尽はなく、また原判決が本件清酒の提供について供与申込罪ないし供与罪を適用したのは相当であり、原判決に何ら所論のような法令適用の誤りはない(なお、所論引用の判例は、本件と事案を異にしており、適切でない)。論旨は理由がない。

六  控訴趣意第三点の論旨(量刑不当)について

所論は、被告人を懲役八月・執行猶予五年に処した原判決の量刑は重すぎて不当であり、被告人に対しては罰金刑をもって臨むのが相当であるし、仮に懲役刑をもって処断されるとしても、原判決の八月の刑は余りに重すぎるし、公民権停止期間も三年程度に短縮するのが相当である、というのである。

しかし、選挙の公正は、民主主義社会の存立にとって最も基本的な要請であって、そのため、公職選挙法の諸規定は厳正に遵守されることが必要であることは論をまたないところである。しかるに、すでに明らかなように、本件は、市議会議員選挙に立候補して当選した被告人が、右選挙の立候補届出前に、自己に投票及び当選を得る目的をもって、応援者らと共謀のうえ、三日間にわたり地元有力者方合計四〇戸を順次戸別訪問して投票及び投票取りまとめ等の選挙運動を依頼し、その際右依頼の報酬として同人らに対しいずれも清酒二本合計八〇本(時価合計一三万二八〇〇円相当)を提供して供与の申込(後日右清酒を返還した三名分)ないし供与(三七名分)をし、もって、戸別訪問、供与申込みないし供与、事前運動をしたという事案であるところ(原判決の罪となるべき事実第二末尾に事前運動の趣旨を明確にする「一面立候補届出前の選挙運動をし」との文言が記載されていないけれども、原判示罪となるべき事実の記載内容及び法令の適用に照らし、右第二についても原判決が事前運動の事実を認定し、これを処罰していることは明らかである)、原判決も説示するように、本件は右のように物品を提供して選挙を有利に運ぼうとしたのであって、民主主義の根幹たる選挙の公正を著しく害する事犯であること、被告人は、知名度も低く、立ち遅れていたことから、地元での支持者を増やそうと考え、自ら本件を計画し清酒を準備するなど積極的に本件を遂行したものであることなど、本件犯行の罪質・態様・動機、原判決も指摘しているように被告人に真摯な反省の情があるものとは記録上窺いがたいこと、また、次代の日本を背負うべき若い世代に属する被告人が、立候補にあたり、自ら本件の如き違反行為に出たことはまことに遺憾というほかないこと等の諸事情に徴すれば、被告人の刑事責任を軽々に論ずることはできないものと考える。したがって、本件は、農村地帯において有力者方に清酒二本宛提供したというもので、訪問の戸数、提供にかかる物品の価額は比較的軽微なものであったこと、被告人には、交通関係を除き前科もなく、これまで農業のかたわら地域社会に貢献してきたことなどの被告人に有利な諸事情を十分に斟酌しても、被告人を懲役八月・執行猶予五年に処した原判決の量刑は相当であると考えられるのであって、被告人に対し罰金刑を選択すべきもの、あるいは原判決の懲役八月の刑期を減じ、刑の執行猶予期間すなわち公民権停止期間を短縮すべきものとも考えがたく、原判決の量刑が不当に重すぎるとはいえない。論旨は理由がない。

そこで、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐々木史朗 裁判官 竹田央 中西武夫)

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